歴史は繰り返す。 日本の歴史で国を売ったことはない。
先日転載したのですが、
ねずさんのひとりごと さんの
大川周明氏の『米英東亜侵略史』6 謀略
から、ねずさんのコメントを転載します。
以下抜粋
戦前においても、多くの知識人やジャーナリスト、政治家等々は、英米流の資本主義(拝金主義)、自由主義(我儘身勝手主義)、あるいはロシア流ないしは現代支那流の唯物主義、共産主義に染まっていました。
これは、ある意味、現代の日本社会とまるで同じ構図です。
いつも思うのですが、結局のところ、何々主義といっても、しょせんそれは人が考えた不完全なものでしかないし、長い歴史の中で洗われたものでもない、ということです。
それが本当に人類に役立つ思想かどうかは、歴史が証明してくれる。
すくなくとも、反対意見の者を捕まえて、大量殺戮するような共産主義は、善なるものとはいえないし、自由だ、資本だといったところで、欧米の場合、その根底には絶対神による宗教的道徳観が流れている。
南米でインデオ達が殺され略奪されたのは、その宗教によって、彼らは異教徒であり人ではない、とされたからだという意見もあるくらいです。
日本は、2671年という世界最古の歴史の中で、争ったり奪ったりするよりも、みんなで共同して生産をすることを是とする文化を築きあげました。
お近くにいる人(日本人)を見わたしてください。
そして彼(彼女)が、自動小銃を持った姿を想像してみてください。
どうみても似あわない。
では、その彼(彼女)が、鋤や鍬を持っている姿を想像してみてください。
実にしっくりきませんか?
「外国かぶれ」という言葉がありますが、「かぶれ」はしょせん「かぶれ」でしかありません。
どんなに「かぶれ」ても、コメひとつ、大根の一本も育たないのです。
日本は日本的なものを追及すること。
それこそが、日本人が理想とする社会を築く源泉であろうと思うし、それはとりもなおさず、人類が理想とする社会の実現のための最良の方法であろうと、ボクは思っています。
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以上抜粋載終わり
本文は元記事で
>>白人の国が”キリスト教”を掲げて、虐殺し強奪し、侵略を繰り返してきた、そこ数百年前は世界地図を植民地を塗ると、ほとんどが色つきの植民地となる。
日本が、他国のように侵略されなかったのは、日本の魂の根源である、”日本神道”があるからだと思う。
仏教が伝来しても、日本人にはオリジナルではなく、日本人仕様に変えるのだという。
現代は、”グローバリゼーション”を掲げて侵略を企てているアメリカの策略を気が付いている人がどれだけいるのか?
誠実さや正直など通じることは決してなく、彼らにはほんの一滴もそれらはないことがよく理解できる。
彼らにとっては、それが是なのだ。
何にもおかしなことではない。自分らの為だけに、殺戮しても、それはキリスト教に基づいて是。
その国を侵略しても是なのだ。
(※ キリストの本来の教えは、それとは違うことは明白だが)
我々の感性とは全く違う。
今こそ、日本の伝統、精神を取り戻さねばならない時期なのではないか?
もうそろそろ、気が付こうよ。
我らは、白人ではない。
この日本列島という土地で、2,670年以上にも及ぶ歴史の中で、洗練された社会のシステムや、思想が存在するではないか。
アメリカには歴史はない。
洗練させる土壌もない。
「美」や、「わび」「さび」など感ずる感性もない。
日本人は、視覚で感ずるだけでなく、心で感ずる。
これは日本特有の誇るべき、日本の魂、心なのだ。
何が、”グローバリゼーション”だ。
アメリカ人には、自国の歴史がそこ数百年しかない。
しかも、血にまみれた愛なき歴史だ。
日本には長い長い歴史がある。
例えば、アメリカ人に「日本には千年前には、女流作家がいて、世界最古の小説がある」と言ったらどうか?
想像もできないだろうし、彼らが欲しくても決して手に入らない歴史の重みなのだ。
個人においても、他人になることなどできない。
自分に無いモノを追い求めても、精神の破綻しかないだろう。
自分の持っているものに目覚め、それを尊重し、認め、そして洗練させることが、他者とも自信を持って接することがきて、
健康な関係が構築できるのではないか?
日本は、日本人は、それを数千年、万年と続けてきたのだ。
歴史もない、愛も、思いやりもない、単なる心もない利己主義な白人の思惑に乗っても、
どこまでも利己主義なのだから、他者の為になることなどどこにもないのが道理だ。
日本の為などと嘯き、騙し、搾取するのは、歴史が証明しているではないか。
民族の性質など決して変わらぬ。
我らの偉大なる父祖が作り上げてきた日本の素晴らしい文化伝統、そして精神を、子孫である我らが取り戻せないはずないではないか。