外国人「日本語の敬語はいらない」


さっき、NHKの日本語を学ぶ外国人たちが出る番組で、

『敬語』をやってました。

スリランカ女性とフランス人男性が敬語はいらないと主張。

スリランカで敬語はなく、目上の人には優しい声で言うのだとか。

それはスリランカの文化であって、だから日本語のけいごがいらないという思考がまず理解できない。

フランス人男性は、意味が通じるのだし、敬語でない方が会話が弾むと主張。

じゃ~、仕事関係でそうすればいいではないか。

だから、敬語がいらないという思考も理解出来ない。

自分が要らないと思うなら、日本で仕事をしてても、使わなければいいではないか。

言語と言うのはそれを使う人々の文化があってこそのもの。

それを学ぼうともしないのに、「いらない」と主張する傲慢さ。

日本語を学ばねばよいのでは?と思ってしまう。

番組で日本語を教える先生は、日本で人間関係を円滑にするためには日本語において敬語は必要だと説いていた。

フランス人男性はそれでも、

「社長にも”それをやっといて”って言えばいい」などとのたまっていた。

そう思うのなら、自分がそうすればいいではないか。

まぁ、番組なのである程度の台本はあるかと思います。

でも、外国人で「敬語はいらない」という人が多いから取り上げられたのでしょう。

日本語を何のために学んでいるんでしょうね?

日本人とのコミュニケーションを取るためなんじゃないんでしょうか?

敬語を覚えた外国人のほうが、印象がいいのは明らか。日本人同士でもそう。これが日本人であり、日本の文化であり、日本人の感性なんですよ。何のために日本語を覚えているのか?

馬鹿じゃないか、と思ってしまいます。



そして、アメリカ人女性が、

「敬語は日本人のアイデンテイティであり、敬語のない日本語は日本語ではないと思う」と主張。

素晴らしい。

その通りだと思います。敬語を覚えて、是非使って頂きたい。

敬語や謙譲語は日本の美しい文化であり、とっても日本人の心をあらわしているものなんだと思います。

英語にも丁寧語がありますが、敬語はありません。

そして、目上だろうが、先生だろうがお客様だろうが、名前を呼び捨てです。

私も英会話を学びましたが、それを、日本の感覚で敬語を使えとも思ったこともないし(ないものは使えませんが)、現地ではそれを受け入れ、そう使う事に努めました。
その文化を否定する理由はどこにもありません。

ただ、日本人の感覚として、先生に向かって名前を呼び捨ては、かなり抵抗のあることでしたけど。



しかしながら、日本人でも最近は敬語を使わない、使えない人が多くなりました。

平気で目上の人への言葉が敬語でなかったり、謙譲語も使わないで平気なんですよね。テレビでタレントもそう。

お客様で、たいして親しくもないのに、いきなり、名前を呼び捨てする方がいらっしゃいますが、感覚を疑ってしまいます。親兄弟でもなく、彼氏でもない。友達でもない。相手に対する気持ちのあらわれであり、敬意もなく、自然と上からの立場なんでしょうね。あからさまと思います。それが下品になることすら解らないのかなと思います。


結局、日本で、言葉使いが適切でなく、更に敬語を使えないなら、その人の品格が問われると言う事だと思います。特に年齢を重ねれば重ねるだけ、言葉使いに品格は現れると思います。

逆に私ごときの様な者なのに、年上でもある方から敬語で話しかけられると、恐縮する一方、一目置きたくなります。
やっぱり、こういう言葉使いをする方は、逆に尊敬もされるような方だったりします。

言葉使いというのは、その人を表したりしますから、気をつけて、なるべく失礼ではない言葉を使いたいものです。

たまに、慇懃無礼な方がいらっしゃいますが、これは論外です。