食卓の向こう側 コンビニのお弁当の正体

 
こんなの食べてたら病気にならない方がおかしいよね。
 
せめて昔に戻って、お母さんは、子供には手作りの食事とお弁当を作ってください。
 
将来をになう大事な子供達に。
 
 
 
食卓の向こう側
以下抜粋 全文は元記事で読んでください。
 
二年ほど前、福岡県内の養豚農家で“事件”が起きた。
 母豚のお産で死産が相次いだのだ。やっと生まれたと思ったら、奇形だったり、虚弱体質ですぐに死んだり。透明なはずの羊水はコーヒー色に濁っていた。
 「えさだ」。ピンときた農場主は、穀物など元のえさに変えた。徐々にお産は正常に戻ったが、二十五頭の母豚が被害に遭い、農場主は生まれるべき約二百五十頭の子豚をフイにした。
 母豚が食べたのは、賞味期限が切れた、あるコンビニの弁当やおにぎりなど。「廃棄して処理料を払うより、ただで豚のえさにした方が得」と考えた回収業者が持ち込んだ。期限切れとはいえ、腐っているわけではない。「ちょっとつまもうか」と、農場主が思ったほどの品だった。
 肥育用の子豚に与えれば、肉質にむらがでる。そこで母豚に、それだけを毎日三キロ与えた。農場主の計算では月二十万円のえさ代が浮くはずだったが、百十四日(豚の妊娠期間)後、予期せぬ結果が待っていた。
 
業界最大手のセブン―イレブン・ジャパンの販売構成比を見ると、弁当、総菜、パン、清涼飲料水、カップラーメンなど四分の三が食品だ。利用客は同社だけで年間延べ三十六億人。コンビニが「家の台所」化しているのは、決して若者だけではない。
「商品に張られたラベル(内容表示)を見て自分で判断するか、確かな材料を手に入れて自分で作るか。食は自己責任。年間約八千人が交通事故死しているからといって、社会から車を追放せよ、とならないのと同じことだ」
 
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 「要望に合わせ、それなりの商品をつくる。それがプロの技」。かつて食品添加物を扱う商社のトップセールスマンとして、さまざまな食品の開発に携わった安部司(52)=北九州市=は言う。
 安部が明かすテクニック。あるスーパーから特売用の肉団子(いわゆるミートボール)を頼まれたケースでは…。
 普通のミンチは使えないから、牛の骨部分についている肉を削り取った端肉(はにく)をもとに、大豆たんぱく(人造肉)で増量し、欠ける風味は香料(フレーバー)で補う。
 次に歯触りを滑らかにする加工でんぷんや油を加えるが、それと引き換えに失う粘りは結着剤でカバー。油をなじませる乳化剤、色あせを防ぐ酸化防止剤、さらに着色料、保存料、肉エキス、うま味調味料…。
 肉団子にからめるソースは氷酢酸グルタミン酸ソーダなどで、ケチャップはトマトペーストや酸味料などでこしらえ、真空パックで加熱殺菌。二十種以上の添加物を使い、子どもが喜ぶ味(軟らかくて味が濃く、三口でのみ込める)で、常温保存が利く商品に仕上げる
 
筒状のゆで卵、通称「ロングエッグ」も、その仲間。輪切りすると、金太郎あめのようにどれも黄身と白身が均等。ピザや、外食・中食の野菜サラダの付け合わせなど、「見栄えのいい」ゆで卵の中央部分だけが欲しい業者用に開発された。生卵の黄身と白身を分離して加工。学校給食でも、メニューに生野菜があったころはよく使われたという。
 こうした食品は、消費者を喜ばせたいメーカーの思惑から生まれたのか、それとも消費者のニーズがメーカーを動かしたのか。それはまさに、卵が先か鶏が先か、の関係のように見える。
 「自分は業界と消費者の救いの神」と信じていた安部は、開発した肉団子を「おいしい」と食べるわが子の姿に衝撃を受けた。「おれんとこのは食べるなよ」。そう忠告する取引先の食品加工工場長と自分が同じことに気付き、会社を辞めた。
 今、国産の自然塩を扱う傍ら、無添加食品を広める活動をしている安部は問いかける。「なぜその値段でできるのか、なぜカット野菜の切り口は茶色くならないのか…。消費者が素朴な疑問を持たなければ、いい食品は生まれない
 
 
 
>>卵が先か鶏が先か、の関係のように見える。
 
イヤ・・・・拝金主義の結末。だな・・・・
 
この先には病院通いが待っています。
 
そして、病院と製薬会社が儲かります。
 
そして、もしもTPP参加になれば、今より安くて危険な食べ物が出回り、その食品会社は儲かり、医療費は高くなり、医療すら受けられない人たちが出現します。
 
ま、癌になっても医療費が払えないという事が起こるということです、今のアメリカのように。
 
この記事、”TPP”の書庫に入れるか、”食材”に入れるか迷いますな・・・・。
 
”TPP”にします・・・。
 
医食同源です。
 
自分の健康は自分で守り、食べ物は選ばなければいけません。
 
子供たちには、安全な物を食べさせて下さい。
 
「そんなに長生きしたいの?」と言われることがありますが、
 
私は、長生きしたいのではありません。
 
健康でありたいのです。
 
皆さまにもそうであってほしいのです。